2009年5月28日木曜日

さいたま市:さいたまアリーナ・ジョンレノンミュージアム

ペーパードライバー教習のマイカーアカデミー:東京都,埼玉県,千葉県,神奈川,県長野県に主張します!

彼がニューヨークダコタハウス自宅の前で凶弾に倒れたのが1980年12月8日。 もう25年も前の話になる。 世界中に戦慄が走った。 少年に毛が生えたくらいの若かりし自分も震えた。一晩中四畳半アパートの窓を開け彼の魂を待ち続けた。ジョンの唄う「スタンドバイミー」をかけ続けた。 それほど物事に対し執着心の強いほうではない私が四半世紀を超えて語り続けることができるのは彼しかいない。



イギリス、リバプールの教会でクォーリーメンというバンドでバンジョーをかき鳴らしていた不良少年がポールと出会いビートルズが誕生する。 今さらふれるまでもなくビートルズは音楽史を変えるスーパーグループになっていく。 現代ミュージックの幕開けである。 沢田研二も天地真理も、吉田拓郎も、キャンディーズも、前川清も、サザンも、B'zも、好きだったけどなぜか自分の人生の節目々を思いだすのはジョンの曲になる。



中学のとき好きだった娘にふられたときの「恋におちたら(イフアイフェル)」、卒業間近の音楽の発表会でピアノを弾きながら一人で唄った「イマジン」、これは比較的繰り返しが多くまったくのシロウトの自分でもコピーできたのだ。 花の東京に旅立つときの「スタンドバイミー」、自分の結婚式に向かう車のなかで聞いた「オール・マイ・ラビング」、仕事で辛い思いをしたときは決まって「スターティングオーバー」だった。音楽はまさにタイムマシンのごとく時代をスリップするのだ。(特に私にとってのジョンレノンは・・)



親日家だったジョンは生前日本にはよくきていた。 実は私、1979年に新宿西口のスバルビル地下の「新宿の目」の前で彼に会ったことがあるんです。「アーユージョンレノン?」と聞いた私に「はい、そうです!」って日本語で答えてくれたジョン。一生の思い出です。





埼玉県さいたま市中央区新都心8番地
さいたまスーパーアリーナ内
ジョン・レノン・ミュージアム
http://www.taisei.co.jp/museum/

0 件のコメント:

コメントを投稿